昨夕は幸手市の身障者支援施設「あやめ寮」の夏祭り盆踊り大会に参加させていただきました。いつものことではあるのですが、協力者が多いことに高揚する自分がいます。こうしたたびに自分には何ができるのだろうか?と問いかけることは、とても大切なことだなと思います。
本人は感じていないかもしれないが、私たちと比較して世界が小さいはずの寮生の皆さんに、ひと時の歓喜の満足感にひたってもらうために、私たちが為すべきことは沢山あると感じさせてくれるイベントです。
ありがとう!
さて、話は急変しますが、15日の終戦の日に、毎年恒例のようにメディアが政党や知識人の談話を報じており、今年のその中で、読んだ後やれやれと思いつつ、さもありなんと納得する談話がありました。
「戦前の日本の行動を美化しようとする排外主義的な風潮や軍事力行使への憧憬。国民主権を軽視する考え方が台頭しつつある。断固として阻止していかなければならない」
福島瑞穂さんや志位さんなどが言いそうなこの談話。実は民主党談話だと知れば「なんだこれは!」と思わずにはいられません。かつての選挙で自民党に腹立ち、民主党に政権を期待した方々の多くは、ここまでとは思わなかったと感じ、見事に裏切られた談話ではないかと思うのですが・・・いかがでしょうか?
私も、民主党が本質的にこうした体質を有していたとの理解はしていましたが、ここまでとは思いませんでした。
かつての自民党の大物議員?たちの主導により、数の論理で寄り添った政党が日本を失墜させた結果、2度の国政選挙を通して、はっきりと左傾化そのものの姿を示した・・・つまり必然的にこうなったと言うべきかもしれません。
自らの姿にもとづく反動思考が、安倍政権を右傾化だとか、軍事力行使主義だとかの批判に結びつける政治手法は、もはや末期症状に近いと感じます。
出来ることなら、同党内で真性保守を掲げる議員たちには、このまま揉まれることなく生きる道を探ってほしいと思うのです。
私は、政治家の立ち位置の変化、つまり離合集散そのものは、すべてが汚点になるという考えは持っていません。主義主張を変える変節とは違いますから。ただ、状況次第でそれは早いに越したことはないと思います。利権で結びつきがある場合は論外ですが、次期選挙や後援会事情といった理由が邪魔しているなら、関係者を説得して早期決断をするべきです。
主義主張がぶれたり、利得利権のために立ち位置を変えたりしない限り、それは変節とは性質が違うはずです。それほどまでに主義主張でぶれない政治家を貫くということは大切なことなんだ、あらためて感じます。
権力や利権など自分の都合優先を見境なく求めた人たちの末路は、かつての民主党のトロイカリーダーたちが反面教師になってくれましたし、身近なところにも見られます。
また、別の観点から感慨深く思うことは、有権者の行動がこれほどまでに国の方向性を変えてしまうという怖さと、だからこそ、1票の尊さを再認識させられたということです。