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No.2358 感情抑止力のない国民性

2013.08.14

 民主党による3年3ヶ月の政権運営の影響もあって、対中国、韓国との外交関係が悪化し、それが近2回の国政選挙の結果の一因になっていることは否めない事実と理解できます。それだけ中韓につけあがらせる材料を与えたことは例をあげればきりがないわけですが、私は、外交能力とかアメリカとの関係とかの評価うんぬんの前に、国民性の違いがこうした状況を産んでいるとも感じています。

 先日、中国通で知られる方が、ラジオで語る中国人の一般性を聞いていてなるほどと感じることがありました。
 中国人はなんでも自分が一番、自分が先でなければだめだと。だから中国ではスポーツで言うならば、個人戦や個人の合計で争う団体戦は強いのだが、チームプレーが必要とされる団体競技はなかなか世界レベルに達しないというのです。サッカーしかり野球しかり・・・ひと時は女子バレーボールが世界一になったこともありましたが、それは飛び抜けて背が高い人たちが、その特性を活かす競技が少ないことから、その競技に集まった結果かもしれないのです。
 中国人は個々に目立ちたい、いい思いをしたい・・・またスポーツの結果に出世と家計がついてくる国家風土でもあるので、貧富の差が激しい国情にあっては、自己実現の欲求度が日本とはまったく異なる意味合いを持っていると言えます。だから団体競技の強さがなかなかもたらされないのか?

 同じ中国人が勤める日本企業を襲い、略奪行為にまで発展するのもこの国らしいといえばそうなのかもしれない。もっとも約50年ほど前の近代に起こった文化大革命という思想的内戦では、粛清と踏み絵というアジテートの元で人肉までをも食いあった、また、さほど昔ではない西太后をめぐる血族を殺戮し合った歴史を見れば、そのお国柄、国民性は一長一短では変わりようもないと思う。
 習近平にもそういった国民性があるからこそ、毛沢東復活などということが騒がれているのではないだろうか。これなどは、安倍政権誕生で日本の右傾化を騒ぐ以上に、国際的に大きな危険性を秘めていると思うのだがいかがなものか。

 韓国の国民性は、中国ほどの身勝手さはないかもしれませんが、感情を抑止できない、いやしないという点においては中国以上かもしれません。神聖な五輪の場で、判定が気に入らないとして審判に殴りかかるなどという国柄は、世界中でおよそこの国くらいしかないのではないかと私は思う。この事実は、ソウル五輪以降に生まれた人は知らないことですが・・・。
 神聖なる国旗に火をつける行為もこの国の反日活動によく見られる。感情に火がつくのは恐ろしく早い国民らしい。今回、野党議員が竹島に上陸し、日本に対する恣意的行動をとったのも同様に感じる。パク・ウネ大統領もこうした行動をされては、友好的外交などできる余地が狭まれてしまうだろう。 さらには8月15日に同国議員が靖国を訪れるという。どうにも単純というかご丁寧な抗議行動をするものだ。
 2年ほど前のことになるが、日本の議員数名が韓国の某島への上陸をしようとしたが許可を出さなかった韓国政府。それと同じ仕返し的なことをせよとは言わないが、韓国人の感情のおもむくままの行動は、実効支配の誇示や他国の英霊が祀られている神社にまで抗議に出向くというのでは、異常性も甚だしいというものではないか。

 この両国が日本を永遠の戦犯国にし、永遠に贖罪を求める対象にし、外交の優位性を持ち続けたいとする点において、アメリカをはじめとする各国での緻密なロビー活動が、アメリカの地方都市で従軍慰安婦の像が立つなどといった出来事につながっている事実に、なんとなく虚しい思いがするのです。そこまでやるか!です。

 東日本大震災の発生時に暴動が起きない日本に世界は驚嘆し、その国民性を褒めたものだ。
 理性と知性に立ち遅れた中韓の国民性は、感情を抑止することができず、非を改むるどころか責任転嫁を得意ともすることから、今の領土問題に関わる外交戦略はかなりの困難を極まると思う。そういった現実の中でも、我が国では愛国心の文字にでさえ右傾化だの軍国主義の復活だのと狂騒する日本人がいることに私は憂いを覚えるのです・・・愛国心と軍国主義はまったく別の次元のものではありませんか?
 私は軍国主義に嫌悪感を覚え、愛国心は必要だと思う普通の日本人です。