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No.3792 新横綱と節分

2025.02.02

 新年元日から今日は2月の節分。ひと月があっという間に過ぎました。
 最近、相撲熱が上昇しているように感じます。画面を見ていると若い女性が増えているのが見てとれ、ルールの簡単さと大きな力士が迫力ある土俵展開で決着をつけるまでに時間をとらないなどが根底にあるのではないかと思います。
 そして、初場所で豊昇龍が12勝3敗で優勝と横綱の地位をつかむこととなった。仕切りの最後に相手に向かう様に威嚇をしたり、投げ勝った後には相手を見下ろすように睨みつけたりといった様は、かつての白鳳、朝青龍、日馬富士といったモンゴル出身横綱の粗暴さと同じではないかと感じ、品格を今少し身につけさせてからでもいいのではないかと思っていました。協会としては32年ぶりの横綱不在を避けたいとかヨーロッパ遠征時に横綱が欲しかったのが理由だなどとメディアは書いてますが、もとより実力はあるのだから理由の如何にかかわらず、いずれ横綱にはなる力士でしょう。だからこそ、来場所を見据えてもよかったかと思うのですが、さてさて・・・。
 ところが、優勝杯授与式で君が代斉唱の際、なんと彼が歌っている姿を確認して好感度が若干上がりました。昨年のパリ五輪やサッカーなどの国際試合の開会式で、流れる国歌に口を開く選手が少ないのはどうしたものでしょう。個人の自由と言えばそれまでですが・・・。海外諸国の選手はしっかりと歌う姿を多くみます。考えてみれば、日本人として生まれてから君が代を謳う機会がどれほどあるかと言えば、それほどの場面があるわけではない。昨今は、運動会でさえ国旗は上がっているものの、その際に国家を謳うことをしない学校もあります。会場内の全員が国旗掲揚に応じて掲揚ポールに集中する光景が見られなくなっているのです。これを書くとすぐに右翼だなどというヤカラもいるが、私は日本人として当たり前かつ素直なことだと思っています。それをモンゴルの出身者が行っている姿は貴重とさえ感じる。そもそも国を代表している超一流選手にはせめてと思うのであります。森安監督はその点好感度満点です。

 さて、その新横綱が相撲界恒例の成田山新勝寺での節分祭豆まきに登場した。まだまだ若い新横綱だが、これからどれほどの横綱に成長していくのか楽しみにしたいと思う。もちろん品格という点に最大の興味を置くのは言うまでもありません。ついでに言うと、琴櫻にも昇進を期待するのは当然ですが、彼の最後の塩をつかんだ後の鬼の形相は個人的には好きではないのです。勝てばいいのでしょうが、負けた時にはなんとも虚しさしか残りません。あの形相をしても10敗したら精神集中の為の効果がないし、ありていに言えばカッコ悪いでしょう。パフォーマンスというのは結果次第で良くも悪くもなるもので、最高位の横綱には品格のみならず風格も示して欲しいわけですから動作も表情も特段のパフォーマンスは必要とせずではないでしょうかねー。マワシが黒になったのは見た目の風格としては良かったかもしれません。

 ところで、我が家でも今日は豆まきをしました。毎年欠かすことなくやっているのは、失われていく風土慣習を守りたいという思いからです。
 「福はー内、福はー内、鬼はー外、鬼はー外」わずか数分の行事ですが、なかなかいいもんです。ただし、豆は外向きには多めに、内には少なめに撒くようにしています。そして、二人とも7粒づつ口にしました。理由ですか? 後の始末を考えてということと、10年1粒ということなんです。とても歳の数は食べられませんからね。