一夜明けて、24時間前の侍ジャパン優勝の熱が冷めることがありません。3年ほど前から日本のプロ野球に対して迫力の違いを感じてじっくり観戦する忍耐力が失せつつあるところでしたが、少し状況が変わる気がしています。なぜなら、今回のWBCで、MLBに通用する名脇役として活躍した選手が多かったからです。
ほとんどすべての選手に言えることですが、メジャーの選手に引けをとらない選手たちばかりでした。我が家の山の神が、近藤、源田、山川さらには宇田川とか周東といった選手の名前と顔が一致するようになったり、ゲッツーという言葉が理解できるようになったのですからWBCの効果は広く波及しているのは間違いないところでしょうし驚くばかりです。その多くは巨人の選手ではないところが特徴的です。それだけ野球というスポーツに対する認識がメジャーになったということでしょう。タッチアップというワードがわかるようになれば観戦上達者の免許皆伝の域に達するのですが、まあそこまでは??
サッカーワールドカップでもそうでしたが、スポーツにおける世界の祭典というのは、その期間中だけにせよ世界を一つにする効果があるんですね。
人生振り返ると、小学生の時に長島茂雄さんというスーパースターの出現で野球に魅了されてから65年、その後あまたの名選手によって存分に野球を楽しませて貰いましたが、この歳にして大谷祥平という類まれなベ-スボールプレイヤーに巡り合えるとは…これ以上の喜びと満足はありません。個人的な思いですが、大谷選手にはホームラン王と最多勝利投手の2大冠を同年獲得してもらいたいと願っています。夢をかたちに!
ところで、もうひとつ人生を振り返らせてください。
WBCの余熱が残る中、50年かかって野球への理解を少し膨らませてくれた山の神とは、昭和48年3月23日に東京九段で式を挙げて以来、本日が50年の節目となりました。
思い起こせば、この間波乱万丈の人生でした。とは言え、政治の世界に入ってからの20年はいろいろな政争場面に出くわしましたが波乱とは感じていません。県議時代は別にして、市議会では常に少数側にいることとなり、論じる内容は多数派の数に講じた運営に問題追及する場面も多々ありましたが、それはこの世界では当たり前のことだと理解しています。損得勘定で多数派工作に策を弄することが出来ないもので、我ながら向いてないのかもしれないと感じるところもありますが、いや、それでいい!という自分もいるのです。家内もそんな私を見ていて自分の思うように生きればいいと思ってくれているだろうと勝手に思っています。いや、政治家になるまでの社会人人生の方が家内にとってみればハラハラドキドキの連続だったのだろうと。だから政治家になってからの20年には、今更確認するのもなんですが、広く深く出来た「きずな」に納得するように気遣ってくれているのかもしれません。
とにかく、子育てからなにから任せっぱなしで会社人間として没頭していた自分についてきてくれたというか、見守ってくれたことに心から感謝をしているのですが、これが伝わらないのがなんとも歯がゆいところです。
間もなくやってくる(もうきてる?)終活生活に向けて、これからも仲良く?共に白髪の生えるまで(もう白髪ですが)楽しく暮らしていきたいと思います。今すぐは無理ですが、年内には2泊3日くらいの旅には行きたいなあと思っています。行き先ですか? やっぱり温泉でしょう。
ということで、これほど私事を語るブログは初めてですが、ブログも我がエッセイとご理解いただければ幸甚です。