朝日、読売など、大手新聞に2019年1月にあった市内中学校の女子生徒自殺未遂事件に関する報道が昨日今日と見られました。その年の4月が市議選でしたが、9月議会でその件を質問した経緯があります。雰囲気として、その件には触れない方がいいといったものを感じたんですが・・・そういう点が解決を遅らせる一因じゃないのかと感じながら、一抹の不安を残したまま。
その時の教育長の答弁が第三者委員会に諮っているというものでしたので、詳細を確認するのをとどめましたが、今の今までその後どうなっているのだろうかという想いが頭の隅・・・以上に重く残ったままでした。
私が記事の中で感じる点は、「同級生らによるいじめがあり、これと自殺を図ったことは関連している。校内で泣いている姿を目撃していた教員が複数いながら、誰一人としていじめのSOSに気づくことはなかった」という委員会報告も重要だと理解していますが、この委員会報告が一昨年の11月にまとめられたにもかかわらず、教育委員会の対応が、公表方法などについて被害者側と調整していたとする点です。
1年以上にわたり委員会報告をそのままにしていたのは、質問している議会人としての立場から、その許容範囲を超えているようにも思うのです。こうして後手を踏むのがいじめ問題によくあることではないかと過去の前例が教えていると思うのですが、どうでしょうか。おそらく、当時の現場の教員の何割かは勤務場所が変わっていることでしょう。
教育の未来・・・地域はもちろん国を担い、創る未来構想の中で教育ほど大切なものは無いという自論は、議員活動の中で常にこの課題に向き合う発言をすることにつながっています。自分で言うのもなんですが、教育分野で一般質問する議員が少ないと言うのも、8年ぶりに戻った市議会で当初から感じていたことです。今回、報道対象となった件もこの3年半で質問したのは私だけです。そこから感じていたことは、議会は教育現場の問題点については触れてはならない暗黙のシグナルがあるのかとさえ感じるほどです。ロボトミーコーポレーションの世界とは異なるのかもしれませんが、この点はずっと異様に感じています。
こうした学校現場の問題については各種理由がありますが、そのほとんどが人間心理にもとづいて発生するものです。いじめ、不登校、学力低下、モンスターペアレンツ、パワハラ等々、教員間、教員と保護者、教員と児童生徒、児童間など人同士の接触の中でさまざな問題が生じるわけですが、問題は解決のための対処法です。ところが、この段階になると行政側の迅速かつ素直な対応が徐々に鈍くなるのが常です。川口市や旭川市の事象でも行政が当初とった対応が、その後の解決を難しくする原因になっています。事実を隠蔽しようとしたり、学校側には問題が無いという当初対応は、疑惑の根源となり、問題が複雑化し、長期化するのです。