先週は13、14の2日間「全国都市問題会議」という全国市長会主催による恒例の研修会に参加してきました。してきましたという表現は、会場が長崎という遠方のイメージがそうさせるからでしょうか。この研修イベントは、今回で84回目という古くから行われている研修イベントですが、コロナの関係で3年ぶりの開催となったものです。毎回、テーマを絞って行われますが、前回の鹿児島県霧島市では防災問題でしたが、今回は「個性を生かして選ばれるまちづくり~何度も訪れたい場所になるために~」というテーマでした。その内容については次回にと言うことにさせていただき、まったく別の観点で感じたことをストレートに書いてみたいと思います。
この研修会では、主催都市の進めもあり会場都市の名所をいくつか訪れるのですが、歴史と伝統という点であふれるほどの名所旧跡を有する長崎ですので若干迷った結果、祈念祈念公園を訪れた際のことを・・・。研修テーマは別にして、このことが最も印象深く、心に残っています。
私事で恐縮ですが、1973年に新婚旅行で訪れて以来49年ぶりのことでしたが、当時は無かった彫像を眺めた際の感想です。写真でご説明しないとご理解いただけないと思いますので、いくつか添付しました。
平和の祈り像を正面に見て公園内は世界各国から贈られた記念像が配置されています。その中の一つに写真のものがありました。
ソビエト社会主義共和国連邦と刻まれています。寄贈は1985年とありますので、ソビエト崩壊の6年前ということになります。下部には左にロシア語、右に日本語で贈呈のコンセプトが示されています。これを読んだ瞬間、ロシアによるウクライナ侵攻という現実回避の実情に言いようのない慟哭に近い感情が湧いたのです。
更に、子どもを抱く母の像をに目をやってこれもまたため息の出るような思いになったのです。母の身体に赤く変色した部分が見られます。まるで血塗られたかのように・・・ロシアの現実がそうさせたのかと思わせるような。
ある意図でそのような制作に当初からなっていたのか。それとも寄贈年から37年の間で劣化したのか。まさか、今回のロシアの暴挙で母子像に自然の変化が・・・いやいや、そんなことはないはず。いろいろ想像してしまう自分が。よくある話に、人形の眼から涙とか髪の毛が伸びていたとかといったことがありますからね。
ともあれ、昨日のニュースではベラルーシに9,000人の兵士を送り込んで、再度、国境から100キロほどのキーウ攻撃を示唆する狂気プーチンを想うと、この祈念祈念公園に置いておくことがいいのかどうかと感じた次第です。当時と今は違うという考えもあるでしょうが、第二次大戦に関わる事象は禍根・遺恨として外交関係にいまだに残る部分がありますし、ロシアとの関係では北方領土問題など未解決の問題もあるわけです。
そして私が感じる最大の点は、この平和記念公園は長崎が原爆被災を受けたことを後世に残す意味で造園された公園で、まさに核の戦争使用を諫める目的を持った公園です。その公園にあるソビエト社会主義共和国連邦が未来永劫の平和を祈り捧げる主旨で寄贈した像を見て、現実は、人の命を尊ぶことなく、核の使用すらほのめかす現状ロシアは公園のコンセプトに違和感を与えていると感じるのです。
ましてや、連邦という国名の中には、バルト3国や当のウクライナまで含んでいるわけですから、気持ちの上でしっくりこないのも事実です。過去を示すものでしかないと理解するしかありません。
寄贈当時と今とを一緒にする必要はないというご意見もあるかとは思いますが、個人的には撤去されても仕方がないと思いますし、ましてや実際に核使用が現実のものとなったあかつきには間違いなく、この像は平和記念公園にふさわしいとは思えません。
平和の像が掲げる両手。右の指は原爆が落とされた上空を指し、左の指は原爆落下地点を指しているという説明を読んで、この思いが尚更のものになった次第です。