昨日の蒸し暑さは尋常ではなかったですね。地球のあちこちで豪雨や山火事による大災害が発生している中、通常の生活さえが地球を取り巻く天候によって苛まれる傾向が顕著になっている。気温上昇一つとっても、いったいこの先の未来世代にどれほどの影響があるのかと心配になる。
天変万化に加え、人による不条理な心理によって世界の秩序が変わる姿も地球が病む大きな問題だ。民主主義の衰退が問われて久しいが、いくつかの国による人権無視の思考活動は、この先国際環境をどう変えていくのだろうか。一自治体はもとより一国だけでは解決し得ない行き詰まりの状況を感じる昨今だ。
そうした憂いの多くは、強権政治を意図する独裁者が牛耳る国家から派生していることは間違いない。中国による民族虐待思考は、香港征圧であらわになった。今の対台湾政策は軍事制圧の予行演習そのものであり、明解な共産パルチザン思想の大戦略を世界に示すものだ。ロシアのウクライナ侵攻もその先にあるソ連邦復活への野望で民主主義への挑戦が明らかになった。その危険思想をNATOが許さないのは当然のことである。
また、私が訪れた頃はのどかな国であったミャンマーでは、軍事独裁政権が民衆を弾圧する社会に変化して3年。最近では4人の民主主義活動家の死刑を実行し、この度、アウン・サン・ス・チー氏が4件の汚職防止法違反により禁錮6年の判決を受けることになった。これで計17年の刑期になり、77歳の女史は活力を維持した状態で社会復帰することが難しい状況にされてしまった。これによりミャンマーという国の自由で開かれた社会への道が閉ざされたことにならないことを願うばかりだ。アフリカのいくつかの国ではもっと殺伐とした人権無視の現実があるとも言われている。
世界の不条理とは、強権独裁全体主義国家によって多くの民を痛めつけることと定義するのは大袈裟だろうか。人はどういった状況に置かれようと、その時その時で生きていくためには体制かつ大勢に従う選択をせざるを得ない。これはウクライナ東部でロシアが発行するパスポートを受理したウクライナ人が、同じようなことを言っていることからも感じる。もっとも心底からロシア国籍になりたいと思っているわけではないと思うが。
これらのことが、今直接身に降りかかっているわけでもなく、身近な出来事ではないのだが「世の無常」という現実が多国で発生している現実は「明日は我が身」と考えることは無用なことだろうか。それどころか、改憲阻止を目論む日本のマスコミは、政権転覆のプロパガンダに多くの時間を費やし、未来世代に思いを馳せることが無いように想えてならない。
確かに民主主義とは自由と平等を柱とした社会であったものが、能力の差が長い時間をかけて貧富の差を顕著にし、生まれた時点で平等でないといった事実に繋がっていることは間違いない。わかりやすい例として、米メジャーで選手の契約金が年棒40億円に及ぶ現実を夢と捉えるか行き過ぎと感じるかである。しかし、経済活動では大資本が脈々とその規模を大きくしていることがいいのかどうかも問われる状況になっている。コロナの影響で倒産する中小が数多い中、史上最高益を誇る大企業がある。
誰にでも挑戦の機会があるはずの民主主義が、そう思えなくなった国情に不条理を感じる民が増えつつあることが米英独仏日といった西側先進国に見られる現実なのかもしれない。
不条理も立場によって感じ方が違うということか。