前号で五輪を振り返っての感想を綴りました。競技そのものは五輪の本質を最高の地点で俯瞰させてもらった感じがしています。五輪のイメージとして代表的競技がいくつかありますが、普段、滅多に観ることのない競技に触れることの素晴らしさが他の大会に無い五輪の五輪らしさだと感動を新たにした次第です。もちろん開催して良かったということに加え、すべての関係者に感謝の意を表したいと思います。反省は反省で別途すればいいのです。
今回の五輪のテーマはよくよく考えてみると、五輪に反対中止論を展開した左派系が日頃訴える人権問題、ジェンダーフリー、人や文化の多様性等々がクローズアップされていたのです。その五輪に左派はこぞって反対していたことになるわけで、不思議な思いが残ります。利権だ商業主義だとの観点が反対理由だとしても、テーマには反対出来る立場ではなかったということではありませんか。
さて、今回は前号に対していち早くいただいたメールをそのままご紹介したいと思います。シビアにかつ正当に事を見据える内容に感動したからです。政権批判やプロパガンダの煽動者たちにいつも思うことですが、嫌みかつ姑息な方向に理解するのではなく、素直にことを見つめる姿こそ人間らしいと思うのです。子供たちの未来の為にもそうありたいと・・・これを持って五輪の総括といたします。
枝久保さん
おはようございます。
「No3450パラリンピックに目を注ごう」の感想です。
私が、今回のオリンピックで最も感じたのは
反対派、賛成派を含めて
日本という国が、1964年次と比べて、物質的にも、精神的にも
飽食になったなあ〜(贅沢になったなあ〜)、というのが第一印象でした。
「瓦礫(ガラクタ)だけが残った、心が重い。」と言ったのは
サンモニの左派系ジャーナリストの青木理 氏です。
私から言わせれば、青木理 氏には、、、
「瓦礫と言えるだけ贅沢だと思え!!!!」と言い返したいです!!!!
ちなみに、今回の金メダルは
産廃の携帯の中身の希少金属を集積させて作られております。
まさに「瓦礫(ガラクタ)」から「宝」が生み出されたわけです。
私は、このような精神が、2020東京オリンピックの本質だと思っています。
私は、食膳に出された「味噌汁」も
常に、勿体無いので、一滴も残さずに食べるようにしてます。
自分の体になると思っているからです。
コロナの病気に関しても、
国の援助で、コロナのワクチンを受けれたり、給付金を頂ける。
これらも、国や自治体、議員さんには、大変に感謝しております。
1964年頃に開通した新幹線のビッフェのサンドイッチは
パンにハムがぺろっと一枚載っているだけでした。
今では当たり前に買えるコンビニのゼリー菓子なんぞ、上流階級の高級デザートでした。
テレビも、冷蔵庫も、クーラーも、炊飯器も何もありません。
あの頃は
ラジオ(後ほど白黒テレビ)に
氷屋(器に入れて冷蔵庫がわり)に、風呂(五右衛門風呂でした。)に
ご飯も薪で炊いて(お釜で、薪で二升ほど炊きました。)
薪を得るために、室戸台風、ジェーン台風時は、飛び散った木片をみんなで拾いました。
夏は蚊帳で寝て(蚊除けです。)
昼間は、近所の駄菓子屋で、冷やし飴で頭がつ〜んとさせて涼みました。
もちろん通勤電車はクーラーなんぞありません、窓をがら〜っと開けたのでしょう。
日本も随分と豊かになったものです。
反対派の言っている事は、全て飽食で贅沢に過ぎます。
また、感謝の気持ちのひとかけらもありません。
これが1960年代からの全学連、共産党系団体、左派系マスコミなどの
左派系共産党プロパガンダの本質です。
広島、長崎原爆供養にて、菅総理大臣を左派系マスコミは粗探ししておりますが、その前に、「台風で飛び散った薪(木片)でも拾いに行け!!!!」
と言いたくなりました。