スカッとした好天が続き爽やかな秋。行楽といった気持ちは幾分引き気味ではありますが、太陽がもたらしてくれる恩恵をありがたく感じる日々です。
1度くらいは、どこぞでもいいから紅葉を拝みたいと思うのですがさてさて。
一昨日の土曜日、庭でメダカに餌をあげていたらインターホンの音が。家内が○○さんよーと言うので、急いで玄関に回ると嬉しい来客が立っていました。訪れてくれたのは、近くに住む長倉小低学年の女の子で、おばあちゃんと一緒でした。そして、写真の絵を!!!
なんでも優秀作品に選ばれて、今話題の幸手駅ギャラリーに展示されていたそうなんです。それは知らなかったので、残念ながら見逃しましたが、私の心が小躍りするほど弾んだのが絵の構図です。
子どもたちの朝の登校をテーマにした絵ですが、構図の中心にいる大きな人物がなんと私だというのです。私を書いてくれたこと自体嬉しいことですが、子どもたちの後ろにパトロールの私が描かれているのが子どもの感覚ではないかと思うのですが、この子は私を中心に書いたと言ってくれたのです。感激もひとしお、おばあちゃんと一緒に「いつもありがとうございます」という言葉までいただいて、ここまでのことを思い出しました。
平成元年8月に大宮から幸手に越してきた我が家。当時香日向小は建設中で5年生の次男は長倉小へ。約半年ほどの期限付きでしたので若干遠いと感じる通学には何の問題も感じませんでした。ランドセルが小さく見える5年生ということもあったのでしょう。翌2年の4月に開校した香日向小に6年時から転校、いわゆる香日向小第一回卒業生となりました。
それから丸22年を経て、児童数が最盛期650人ほどだったのが50人を割るほどに激減し、平成24年3月香日向小は閉校になりました。閉校にあたり、ボランティアクラブの方々に山車の作成を提案依頼し、山車にぶらさがる提灯に最期の6年生に言葉を書いてもらいました。それと、香日向を流れる大中落としには5つの橋があるのですが、これに閉校記念として子どもたちに名前を付けてもらうと言うのはどうかと教育委員会と校長先生に提案しました。どちらも実現の運びとなりましたが、あまりにも早すぎる閉校と地域から子供の声が聞こえなくなることに対して少しでも想い出を残せたらという単純な想いでした。
その後、同年4月8日のこと、新しく長倉小に通う子どもたちを毎週火曜日から金曜日まで登校パトロールするようになりました。県議当時のことでしたが、視察出張等の所用が無い限り議会当日も20分ほどの立哨をやるのが日課になりましたが、その時間の関係で本来の立哨地点はコミセン前ですが立哨地点が多いことはいいことだと考え、家に近い香日向駐在所前でやるようになりました。かれこれ9年近く、今も続けていますが、始めたころの6年生はもう立派な成人になりました。その子たちが会えば挨拶してくれるのがまたなによりの喜びです。
後ろから見るとランドセルが歩いているような1年生が、35分程度の道のりをかけて登校する姿に、今日も頑張って!という気持ちです。辺境の地の子どもたちとは比較にならないかもしれませんが、車も多く、おかしな人もちょくちょくといった情況から子どもたちを見守る目的もあります。
ところが、初めてまもなくのことです。子どもたちとの毎朝の逢瀬で元気をもらっているのが私だということに気づいたのは。
届けてもらった絵を写真に収めさせていただいたのは当然で宝物をいただいた気分になったのは言うまでもありません。
実は今、このスクールガードのメンバーに不足が生じています。皆、頑張って続けてくれているのですが、高齢化の波は全国的にこうした活動組織にも顕著になっており、香日向ボランティアクラブも同様の傾向は否めません。クラブメンバーではなくスク-ルガード専任のメンバーということでもけっこうですので子どもたちを優しく見守る活動に我こそはと思わん地域の方をお待ちしております。担当は週に一度です。もしもの場合、私まで連絡いただければと思います。