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No.3240 拡大の一途に国会は?

2020.02.01

 ブログ更新のたびに各種ご意見をいただきます。
 前号では「昔、聴いたか見た記憶のある名言です。悪いことばかりを忘れるならいいんですが、良いことまで忘れるのはとてももったいないと感じました。人間はハリを持って生きよということですね」
 こうした感想は、私にとっても励みになります。「70を過ぎると身体のあちこちにほころびが出るようになるから気を付けた方がいいよ」というアドバイスを有難く拝聴する最近ですが、その雰囲気に侵されてはいけないということをウルマンの詩から感じ取らないといけませんね。
 

 さて、24日と27日書き込みのブログにも賛同のご意見をいただきましたが、中国発疹の新型コロナウィルスは、そこで予測した通り拡大の一途をたどっています。賛同のご意見はこの状況に対する国会の現状です。予算委員会で登壇する立民や国民の議員たちは、倒閣一途もしくは保身も思慮しているかのような質疑に撤していますが、これでいいのか!!という厳しいご意見です。
 政府は、これにより多くの時間が割かれる事態ですから、本来であれば首相や関係閣僚は感染水際対策への時間を優先するべきです。もとより、国内にも災害対策や経済対策などの重要問題があって、IRはともかく、桜やヤジ問題にうつつを抜かしている場合ではないはずです。これは、安倍総理または安倍政権が好きか嫌いかの次元ですべき話ではありません。

 こんな事実があります。
 予算委員会での蓮舫委員の質疑をテレビで見ていた世耕自民党参議院幹事長が、桜ばかりでコロナウィルスに関する質問をまったくしない蓮舫氏の対応に疑問のツィッターをしたところ、立民が党として抗議をしたというのです。理由は、通告制の質疑で、しかも予算委員会は質問内容に関する特別なルールがないということに関連して、世耕議員の物言いはそれを束縛するものだと。
 しかし、これは世耕氏が社会に対して立民の国会対策を、これでいいのか?と訴えたものではないかという返信ツィッターもあるようです。とどのつまりは、この抗議自体が逆に言論の自由を束縛するものだという、またもやブーメラン現象にもなっているわけです。
 棚橋予算委員長に対して「政権のポチに成り下がっている」と犬の姿にたとえた枝野立民党首の言葉使いも野党第一党の国会議員にあるべき品とは思えません。それこそ、民主党政権時でもそうでしたし、小沢一郎流に言えば、それ自体が数の論理で行われるという、過半数を得た政党が主体で国が運営されていく民主主義そのものを、野党になるとすっかり忘れる。このポチ発言はひどすぎる言葉として問題視されるべきと思いますが、そうはならないようです。
 自分たちは好き勝手にボロクソ発言で与党批判を続け、今何を為すべきかという優先順位も考慮せず倒閣運動に爆進している立民や国民。本当に政権獲得をしたいのだろうかと最近感じるようになりました。
 確かに、批判は楽です。テレビ放映のある委員会に登壇出来れば悪口雑言の政権批判をし、その執拗な発言がマスコミに取り上げられ知名度が上がる。これが地元有権者にはなかなかやるなーという評価につながり次の当選確率が高くなる。そのためには、党内にあって、早く予算委員になれるだけの立場にのし上がらなければならないという思考がうごめく。もちろん、この論理は全ての政党にあるわけですが、痛烈な批判発言で名を売ることが議員活動のすべてではないということは理解してもらいたいものです。それが正しい批判かどうか、そして正しい物言いかどうか。説得力があり聴く者をうならせる発言かどうか。
 本当に国や地域を良くしたいと思うのであれば、野党では簡単なことではないということを肝に銘じるべきです。もっとも、民主党政権は国の実態を弱くも悪くもしたという事実は免れませんが・・・。
 今こそ、世界を震撼させているコロナリスクに国として対峙する国会議論をしてもらいたい。他の国と比較して、中国との距離や互いの行きかいの実態をふまえれば、水際対策が遅い感じの日本であってはならないはずです。