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No.3194 災害時に避けるべき安易な批判

2019.10.16

ファイル 1105-1.jpg 昨日の議会全員協議会で、今回の災害に対する市の報告書が配布されたので添付しました。
 
 今回のような激甚台風に見舞われた際、最も注意し、控えるべきは安易な批判だと思う。防災対策の在り方も地震と水害の違いをを改めて考えさせられることにもなったが、近隣自治体にあっても混乱カオスの状態はいたるところにあったと聞く。たとえば、北川辺に住む知人によると、同地区の避難場所に騎西高校が指定されたという。えっ、氾濫の危険下にある利根川の向こう側に行くのか、しかも歩いては行けないぞ! また、柳生に住む知人も同じく騎西高校に避難したという。これは実際に避難したそうだ、車で! 車で避難する危険性は避難場所に向かう途中で、万が一、決壊水に襲われたらどうするのか?といったように、ありとあらゆることを想定した場合、まさに避難のカオス状態になりかねないのだ。

 幸手市にあった市民からの電話も文句、怒声、恫喝、ののしりといった類の電話が多かったという。人命財産に関わる事ゆえまったくわからないわけではないが、こうした非情時に最も避けるべきは冒頭の安易な批判に加え、パニック・ヒステリックな精神状況に覆われ、他に感情を振り向けることではないだろうか。
 幸手市洪水ハザードマップをしっかり確認した市民はどれほどいただろうか。専門家が言うところでは、ハザードマップはかなり正確なものだという。浸水10m以上の危険地域になっている地区は2階をも水没する可能性が高いので、単なる垂直避難では足りない。したがって、避難場所への避難が必要だが、5m以内であれば2階への避難で足りる可能性が高い、ただし、家屋の立地条件等によって異なるので、より安全には避難場所へということになる。ということは、自己判断も必要なわけで、自助の在り方も自己判断のもとにいろいろと別れるところだと理解できる。
 単純な話としては、避難したが毛布も水も無かったと言う市民がいたそうだ。確かに毛布はわかる。しかし水はどうだろうか。一晩の水分補給用程度のものはスポーツポットのようなもので自らが用意できないものだろうか。避難と言っても地震の場合と違って、かなり以前から事態の危険性は通達されてもおり、自己判断も出来る状況にあったわけだから、水くらいは肩にぶら下げて避難出来ないものだろうか。何でもかんでも自治体だより、自治体責任を問うのは災害対策の自助のスタイルとして疑問が残る。

 ある議員によると「初めてのこと、やってみなければ分からない。そんな保身はやめましょう」という内容がブログにあるが、市の職員で、この災害時に保身を考えている事実があるのだろうかと思う。そういう事実があるのなら、それはそれで議会で問題視すれば良いと思うが、職員も同じ避難すべき命のある立場でもあり、家族もある。市と議会が一体となって、今回の災害を教訓として、より良い防災対策を、より詳細に構築し、それを市民に理解していただく努力をする。綺麗事ではなく、これが本来の、また今後の災害に立ち向かう姿勢の基本ではないかと思うのだが、いかがなものだろうか。他を批判することでは前に進まないことを戒めるべきと強く思う。文の最後に「頑張ってください」とはあるのだが、職員にしてみれば興ざめするだけではないかと思う。
 ラグビーではないが、災害対策は行政と議会と市民がスクラムを組むような環境の中で良いものが考えられていくはずだと確信する次第です!