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No.3140 国も地方も不祥事議員にまみれる

2019.07.18

 参議院選が今一つ盛り上がってきません。衆参同日選挙かと騒々しかったのが、そうならずに選挙への興味を半減させたのかもしれませんね。現在、都道府県別に長期間にわたり選挙カーが回る日々で、範囲が広いゆえ声の聞こえない日が多いのはやむを得ないところです。
 また、組織を代表しての比例候補者が多く、関係者はいざしらず一般有権者には他人事のような選挙戦に感ずる面もぬぐえません。
 政見放送も見るには見るが、出来もしない美辞麗句や政権批判のオンパレードで耳が疲れます。
 そもそも、政治という大きな枠組に対して国民の関心が低下しているのではないかと思います。これはなぜか? 政治家の不祥事・不始末に歯止めがかからないからではないかと。
 こうした出来事が起こるたびに、やったこともそうですが、それへの言動が悪すぎます。人格・人間性の内容が低すぎて、「えー、こんな人が当選してたんだ」と思わせる政治不適格議員が多すぎると思いませんか。これは国会だけの話ではなく、県議、市議等々幅広い状況で問題議員が出ている状況です。
 まして、不祥事があってもオラが地域の先生として当選する現実が少なくありません。有権者意識にも問題ありです。
 丸山穂高議員とか上西小百合元議員といった問題児は、居直るという人の卑しさをさらけ出すなど、厚顔無恥さを恥じるでもなく、人柄の悪さをマスコミに売っている感じすらあります。そういえば、最近は言いたい放題のタレントが面白がられる傾向があり、TVも主力番組にしているほどです。小気味よいという表現で受け止められるのでしょうか。平均的な真面目人間はマスコミの材料にはなりにくいということかもしれません。
 若さや美貌、もしくは著名人だからと投票する有権者にも問題はありますが、通常の感覚でも候補者の人柄の真実を読み取ることは至難の業です。
 贈収賄、公職選挙法といった事件が多かった昭和の時代と違って、政務活動費をくすねるとか、秘書に対するパワハラだとか、淫行セクハラ事件、思慮足らずの暴言など枚挙にいとまがないのが昨今の特徴です。大物感、小物感で論じるなら明らかに政治家としての人間観は小さいと言わざるを得ません。秘書も怒れば敵対心に燃えることを信長と光秀の歴史から理解できないものでしょうか。現代社会は内部告発や訴訟の時代でもあり、そうした情報にマスコミは飢えていることも頭に入れなければなりません。
 丸山穂高氏の場合は、救いようのない戦争発言により外交問題にまで発展させてしまいました。しかも反省のハの字もなく開き直っている始末。次回選挙に出ても当選しない可能性が高いが、議員でなくなっても芸能の世界で面白起用されないとも限りません。人格のない減らず口の達者な輩がメディアで生きることは大いにあり得る時代です。
 タレントという職種が知名度だけで政治家に変貌するのも考えものですが、政治がメディアの世界への登竜門になるのであれば、政治の質の低下は押して知るべしです。
 そんなことを思いつつ、発言内容ではなく人間性を見抜こうと政見放送に見入るのですが、ふと、むなしい気持ちに襲われる瞬間があります。自分も地方議員の一人であり、見られる対象なんだと。メディアに騒がれる議員は反面教師にしなければならないと言い聞かせる日々です。