市議選後の最初の議会が議会役職を決める臨時議会です。それが昨14日に行われました。この議会人事の流れは、わかりやすく説明するのが難しいし、理解するのは更に難しいところなのです。
まず、すべては議長選挙にかかっています。そこに集約してどれだけの議員数がまとまるか、つまり数の論理がどうなるかという点が、その議会の実態を示しているとも言えます。
まずは議事内容と結果をご覧ください。
左記の議事にしたがって進行しますが、ハイライトは最初の議長選挙と言っても過言ではありません。選挙とはいえ議員間互選というスタイルです。結果は下表の通りです。
議長選の結果は表の通り、宮杉議員が当選しました。表中に太い縦線がありますが、あくまでも推測ですが、太線の左側に記載の9名の議員が宮杉議員に投票したものと思います。無記名投票ですから間違いないと言い切るのもなんですが、坂本議員はすべての投票に自分の名を書きましたと言ってましたし、私は勿論のこと、他の右側の議員さんの投票もおおよそは推測できるので、宮杉議員に9票入ったとなるとこの縦線分離がほぼ間違いないものと思われます。
また、次の副議長にも小林啓子議員に9票入っているので同様に考えるのが妥当でしょう。
数日前から9人の議員が会合を繰り返しているという情報もありましたし、14日当日は早朝8時40分から議会で会合を持っていたことは事実なので、ここで、何らかを理由にまとまったということだろうと思われます。この会合には私にも坂本さんにも声はかからなかったので、9人という絶対的過半数を確保できた段階で、結果表の役職構想が出来上がったものと考えられます。
議事1と2が終わり、次は常任委員会役職互選です。一人が2つの委員会に入っている関係ですべてを同時にはできませんので一委員会づつの選任になります。
まず総務は9名中6名が入っており、その6名の投票により木村議員が委員長に、次に副委員長に6名の投票で私が・・・根耳に水とはこういうことを言うのでしょう。聞いてもいないことでしたし委員会はヒラの立場で質疑したいと考えていたことから、私はこれを辞退しました。それにより休憩に入った後の再選挙で本田議員に6票で決定。つぎは文教厚生委員会で、小河原議員に7票入り委員長に、木村議員に6票入り副委員長に。ここで6票に減った理由は不明です。最後に建設経済委員会で松田議員に9票入り決定しましたが、1票は坂本議員の自分票です。私は総務と文教厚生に入っていますが、結果が見えている状況でしたので4回の投票すべてを白票で投じました。
次は会派代表者6名による議会運営委員会。投票に入る前に形式的に議会運営委員会の委員名簿が配布されましたが、小林啓子議員が公明党代表として名前があったことから、大平議員が副議長は慣例として議運のオブザーバーのはずで委員には入らないはずだが?と質疑。ここで暫時休憩となり、事務局長、議長、公明党議員の調整の話し合いが別室で行われた結果、公明党さんから代表交代の変更申請があり、四本議員が代表となり、議会運営委員にチェンジ。
その後、議運メンバー6人による互選で本田議員が4票で委員長に、副委員長互選では小林英雄議員に4票という結果になりました。
組合議会は3つあります。これには希望を議長に申し入れ、それぞれ希望が多い場合は議長による調整というか話し合いになり選挙形式はとりません。
私は消防組合議会を希望しました。かなり競合すると予想していたのですが、意外や意外、希望者は私以外に武藤、大平の二人の議員だけ。武藤議員がこれまで4年務めてきたこともあり、近隣住民の命にかかわることなので、地域的な関係で武藤議員が降りてくれました。それにしても、東武線西側に住む議員は他にもけっこういるわけですが、私と大平議員だけが希望したことにはいささか拍子抜けした次第です。すでに西消防署廃止計画は俎上に上がっている段階で「火中の栗」を拾うことになりかねないと考えたのではないかという武藤議員の言葉が耳に残った次第です。
他の組合議会議員については状況を知る由がありませんでしたが、おそらく揉めることなく決まったものと思います。
最後は追加議案の形式として監査委員の選任が上程されました。これは市長選任で市長からの追加議案です。藤沼議員の名が書かれた議案書が配布され、市長が選任に至った説明をしました。大平議員から市長はいつこの人事の選任をしたのかといった質疑をしましたが、これも推測の域を出ませんが、9名の中での割振りという形で決定していたのでしょう。しかし、これも議会人事の在り方として過半数を確保した側に決定権があるので、市長が勝手に誰々を指名したいというものではありません。
かくして、新議会の役職がすべて決定しました。選任された議員の皆さん、おめでとうございます! 今後のご活躍を期待しております。
それにしても、私が過去2度の市議時代とほとんど議会体質が変わってはいないということを再認識した次第です。それ以上述べるのは控えることとして、あとは読者の皆さんのご理解にお任せしたいと思います。